『和尚に助けられた河童』

 むかし引又川(現在の新河岸川、柳瀬川のいずれであるか不明)には河童が住んでいて、人や馬を川に引っぱりこむことがよくあった。

 ある時、宝幢寺の小僧が、寺の馬を川に連れていき、水浴びをさせていた。ところが、急に馬は何かに驚いたらしく、あわてて寺のほうへと走り去っていってしまった。小僧はなにがなんだかわからなかったが、責任上、ともかくあとを追いかけて、寺に向かってかけていった。

 小僧が寺に着いてみると、案の定、馬は厩に戻っていた。しかし、どうも馬のようすがふだんと違っておかしい。だいぶ、興奮している感じなのだ。

 ところで、小僧は、厩に着いた瞬間は、中が暗くてよく見えなかったが、暗さに目が慣れてくると、厩の片隅に、何か異様なものがいるのに気がついた。よくよく見ると、童子のようなかっこうをした動物のようだ。しかも、馬にだいぶ踏みつけられたとみえ、かなり弱っている。

 小僧は河童をまだ見たことはなかったが、とっさに、引又川で人や馬にしょっちゅう悪事を働いている河童は、こいつに違いないとひらめき、厩から引きずり出した。

 この騒ぎを聞きつけて、寺の近所の人が大勢やって来たが、ふだん人馬に害を与えている河童だと知ると、口々に、

「焼き殺してしまえ」

といいながら、薪を持って、小僧と河童のまわりをとり囲んだ。そして、寺の境内の大いちょうの枝から河童をつるして、その下には薪をうず高く積んで、火をつけようとした。

 焼死刑執行寸前の危機に陥った河童は、死にもの狂いになって、手をあわせ、泣きながら周囲の人たちに許しを求めた。

 この時、だいぶ前からの騒ぎで庫裏(寺の台どころ)から出て来て、群集の中に混じってようすを見守っていた宝幢寺の和尚は、これを見て河童がかわいそうになり、いきり立つまわりの人たちに命乞いをして助けてやった。

 いちょうの枝からつるされていた縄をほどいてやったときに、

「これからは、絶対に人や馬をねらってはいけないよ」

と、静かにいって聞かせてやると、畜生ながらその言葉が身にしみてわかったらしく、地にひれ伏して、ただただ泣くばかりだった。

 その姿を見て人びとも哀れに思い、川の縁まで連れていって離してやった。河童は寺から川まで泣き通しだったが、いざ川の中に戻ろうというとき、何度も何度も人びとに頭を下げて、お礼と詫びの気持を表わした。

 その翌朝のこと、和尚がまだ寝ている間に、鮒が二ひきその枕元に置いてあった。人びとは、きっと河童が和尚に命を助けてもらったお礼をしたのだろうと、うわさしあった。また、このことがあって以来、二度と人や馬が河童の被害を受けることはなかったといわれている。

埼玉県の民話と伝説〈入間遍〉より

『ほっぺに黒アザのあるお地蔵さん』

 宝幢寺のご本尊のお地蔵さんの右頬には、黒いあざがあるといわれている。それには次のような事情があるのだそうだ。

 お地蔵さんは隣村の宮戸(現在、朝霞市)に、鄙にはまれなきれいなお嫁さんが嫁いで来たことを、檀家の人たちのうわさ話から知り、深い関心をお寄せになった。ある日、住職や小僧などが出はらったすきを見て、のこのこと宮戸に出かけていかれた。

 村に入って畑で農作業をしているお百姓から、きれいなお嫁さんのいる家にいってみると、人ッ子ひとりいないようすである。これでは期待のお嫁さんも出かけて留守かと、一瞬がっかりしたが、念のため中をのぞいてみると、お嫁さんがただひとり、左手に手鏡を持って、お歯黒を染めているところだった。

 お地蔵さんは、お嫁さんが話に聞いていた以上の美人だったので、満足するとともに、ちょっとばかりいたずらの気持を起こし、お嫁さんにちょっかいを出してみた。

 お嫁さんは、まさかお地蔵さんとは、つゆ知らず、ひとりでいるところへ若い男がやって来て、いたずらをしかけたと思い込んだので、腹を立て、お歯黒をつけるかねつけふでを握ったままの手で、力まかせにお地蔵さんの横っ面をひっぱたいた。

 お地蔵さんは、かわいらしい美人の顔には似合わない、このお嫁さんのすさまじいけんまくにおそれをなし、ひっぱたかれて痛む頬を押さえながら、ほうほうのていで寺に逃げ帰った。

 その時のお歯黒のかね汁のあとが、お地蔵さんの右頬に黒い字として残ったのだという。

 また、この日以来、お地蔵さんは恥ずかしさのあまり厨子の中に閉じこもり、秘仏として人びとの前にお姿を見せることはなくなったのだそうだ。

埼玉県の民話と伝説〈入間編〉より