宝幢寺

宝幢寺の由来

正式には地王山じおうさん 地蔵院じぞういん 宝幢寺ほうどうじと称し、真言宗智山派ちさんは(総本山は智積院ちしゃくいん)に属します。
御本尊は秘仏ひぶつ延命地蔵菩薩えんめいじぞうぼさつです。

当山の起源は建武元年(1334)4月に祐円上人ゆうえんしょうにんが開創したという説があり、現在の敷島神社付近にあった当山を柏の城、城主大石信濃守おおいししなののかみの子息 四郎殿の屋敷跡に当たる現在地に移したとする説と、天正年間(1573~1592)に現在、当山の門外西方にあたる地にあった地蔵堂をもとに祐円上人が新たに寺を建立したなどの諸説があるほか、この祐円は中興開山だとする説もあってはっきりしません。
現在の住職 金剛光裕は祐円上人から数えて26世にあたります。

当山は、三代将軍家光公がこの辺りに頻繁に鷹狩りに訪れた際、そのたび休息に立ち寄ったことが機縁となって村内十石の地を寄付するという御朱印状を慶安元年(1648)7月17日に家光公から賜い、更に門前の地所一町を頂いています。その後、綱吉公・吉宗公等からも御朱印状を頂戴しています。

江戸時代の当山は火災による消失とそのあとの再建の繰り返しであったようです。被災は安永年間(1772~1781)、天明五年(1785)、安政七年(1860)の3回まではほぼ確認できるので実際にはそれを上回る回数であったと思われます。御本尊の台座の部分が御本体と明らかに違っているのも火災の際、御本体だけを持って逃げたためと思われます。